アレサ・フランクリン(英語: Aretha Franklin、1942年3月25日 - 2018年8月16日)は、アメリカ合衆国出身の女性シンガーソングライター、ピアニスト、本名はアレサ・ルイーズ・フランクリン(英語: Aretha Louise Franklin)。

グラミー賞受賞回数は20回で、女性としては27回受賞のアリソン・クラウスに次ぐ記録である。2005年には、大統領自由勲章を受章。

人物

ソウル・ミュージック歌手の中でも、サム・クックと共に一際ゴスペル・フィーリングの強い歌唱を持ち味としており、その圧倒的な歌声で、“クイーン・オブ・ソウル”あるいは“レディ・ソウル”の異名を持つ。

1960年代後半の作品群が特に有名で、オーティス・レディングと共にサザン・ソウルの隆盛に寄与した。

1987年、女性アーティストとして初めて『ロックの殿堂』入りを果たした。

1999年、タイム誌の「20世紀を代表する100人」に選ばれている。

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第1位に選ばれている。

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第9位に選ばれている。

「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第2位。

経歴

メンフィスの生まれ、デトロイト育ち。父C・L・フランクリンは説教者として有名な教会の牧師であり、母バーバラ・シガーズ・フランクリンは優れたゴスペル歌手であった。両親は、アレサが幼い頃から別居していたが、アレサは父のもとで育てられ、父の教会でゴスペルを歌っていた。

1961年にはコロムビア・レコードからデビューするが、同社は彼女をポピュラー・シンガーとして売り出し、曲はジャズ色が濃く、ゴスペル・フィーリングを前面に出した曲は発表しなかった。このためか、当時のアレサのレコードは世間に大きなインパクトを与えるに至らなかった。この時期の録音は、後にデビュー50周年の2011年にコンピレーション・アルバム『グレイト・アメリカン・ソングブック』や、網羅的なボックス・セット『Take a Look: Aretha Franklin Complete on Columbia』の形で再発されている。

1966年11月、アトランティック・レコードに移籍。同社のプロデューサーであるジェリー・ウェクスラーは、彼女のゴスペル・フィーリングを前面に押し出す方針を採り、1967年1月、レコーディングを同社の本拠地であるニューヨークではなく、アラバマ州マッスル・ショールズのフェイム・スタジオで行った。同社は、それまで南部色の強い歌手の作品をメンフィスのスタックス・スタジオでレコーディングしていたが、この頃スタックスとの間に対立が起きた為、その代替地としてフェイムが選ばれたものである。しかし、レコーディング開始後にアレサの夫テッド・ホワイトとフェイムのオーナーの間に論争が起きたのに伴い、ウェクスラーはフェイムでリズム・セクションを務めていたミュージシャンをニューヨークへ連れて行き、レコーディングを続行した。

この方針は成功を収め、アレサはアトランティックからの第1弾シングル「I Never Loved A Man (The Way I Love You)」(1967年2月)とアルバム『I Never Loved A Man The Way I Love You』(1967年3月)をヒットさせた。

1967年4月、オーティス・レディングのカヴァー「Respect」で全米1位を獲得し一躍スターの座に躍り出た。その後も『Lady Soul』、『Aretha Live at Fillmore West』などのヒット・アルバムを送り出し、サザン・ソウル歌手としてはオーティス・レディングと人気を二分する存在となった。

代表曲は「チェイン・オブ・フールズ:Chain Of Fools」(ドン・コヴェイ)、「ナチュラル・ウーマン:(You Make Me Feel Like) A Natural Woman」(キャロル・キング)、「小さな願い:I Say A Little Prayer」(バート・バカラック、ハル・デヴィッド)、「Bridge Over Troubled Water」(邦題:明日に架ける橋, サイモン&ガーファンクル)など。「Bridge Over Troubled Water」はゴスペルにアレンジされており、特に当時アパルトヘイトで苦しんだ南アフリカでヒットし、教会で賛美歌として歌われるようになる。

白人歌手の持ち歌のカヴァーも多いが、彼女が歌うと立派に“ソウルの名曲”となる。“単に男女の恋愛を描いた曲でも、アレサが歌うとまるで人類愛を歌っているように聞こえる”といった評価を受けている。

1971年にシングル「ロック・ステディ」、1972年には「デイ・ドリーミング」を発表。1972年には、ゴスペル・アルバム『至上の愛〜チャーチ・コンサート〜』を発表した。1974年にはスティーヴィー・ワンダーの未発表曲(オリジナル・ヴァージョンは1967年録音だが1976年まで発表されなかった)のカヴァー「アンティル・ユ-・カムバック・トゥ・ミー」がR&Bチャートで1位、ポップ・チャートでも3位のヒットとなり、フランクリンは全米ポップ・チャートにおいて、最高1位から10位までを網羅した史上初のアーティストとなった。また1976年にはカーティス・メイフィールドと組んで「ギヴィン・ヒム・サムシング・ヒー・キャン・フィール」がソウル・チャートでヒットした。

だが、1970年代後半のディスコ・ブームの時代からは、ヒットに恵まれない時期が続く。また、1984年より深刻な飛行機恐怖症に悩まされ、海外公演を行うのが困難になり、来日公演は実現しなかった。しかし、1980年代半ばに「Freeway of Love」、「I Knew You Were Waiting (For Me)」(全米1位、ジョージ・マイケルとのデュエットで、作曲はクライミー・フィッシャーのサイモン・クライミー)などがヒット。かなりポップな曲調で賛否両論があるが、人気を復活させたプロデューサー、ナラダ・マイケル・ウォルデンの手腕は高く評価された。1987年には15年ぶりのゴスペル・アルバム『One Lord, One Faith, One Baptism』を発表した。

2003年のアルバム『So Damn Happy』をもって引退を表明したが、それを撤回してライブなど精力的に活動した。

2009年1月20日、アメリカ合衆国第44代大統領バラク・オバマの就任式式典にて「My Country, 'Tis of Thee」("America")を祝唱した。

アリスタ・レコードとの契約は2003年で終了した模様だが、2007年には過去のデュエット曲に新曲2曲を加えたコンピレーションアルバム『Jewels in the Crown』を発売。2008年には、書店チェーンのボーダーズ独占で、クリスマス・アルバム『This Christmas, Aretha』をリリースした。その後、自身のインディーズレーベルAretha Recordsを立ち上げ、2011年に『A Woman, Falling Out of Love』を発売した。

2018年8月16日9時55分、膵臓がんのため、ミシガン州デトロイトの自邸で死去。

アルバム

シングル

アトランティック・レコード時代 (1967-1979)

アリスタ・レコード時代以降 (1980-2014)

出演映画

  • Black Rodeo(1972年)
  • ブルース・ブラザース - The Blues Brothers (1980年)
    彼女の歌唱シーンで完全にリップシンクしていないのは、同じ歌でも2度と同じように歌えない歌手だからである。
  • ツイスト - Twist (1992年)
  • ブルース・ブラザース2000 - Blues Brothers 2000 (1998年)
  • トム・ダウド/いとしのレイラをミックスした男 - Tom Dowd & The Language Of Music (2003年)
  • 黄金のメロディ マッスル・ショールズ - Muscle Shoals (2013年)
  • アメイジング・グレイス アレサ・フランクリン - Amazing Grace (2018年)
  • リスペクト - Respect (2021年)

脚注

注釈

出典

外部リンク

  • ソニー・ミュージックエンタテインメント公式ページ(コロムビア/アリスタ時代のディスコグラフィ)
  • ワーナーミュージック・ジャパン公式ページ(アトランティック時代のディスコグラフィ)

フランス革命の女たち 激動の時代を生きた11人の物語 冒険研究所書店

アレサ・フランクリンのクリスマス・アルバムとアトランティック時代のアルバムがアナログでリリース NEWS MUSIC LIFE CLUB

アレサ・フランクリン Think タブ + 五線譜 by まっきん

アレサ・フランクリンが逝去。享年76歳 NME Japan

Aretha Franklin / アレサ・フランクリン「ARETHA NOW / アレサ・ナウ」 Warner Music Japan