マーク・デビッド・マランソン(Mark David Melancon, 1985年3月28日 - )は、アメリカ合衆国コロラド州ジェファーソン郡ウィートリッジ出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。愛称はストレッチ。
同じくメジャーリーガー(外野手)であるJ.B.シャックとは義理の兄弟の関係である。
経歴
プロ入りとヤンキース時代
2006年のMLBドラフト9巡目(全体284位)でニューヨーク・ヤンキースから指名を受け、入団。同年はA級スタテンアイランド・ヤンキースでデビューを果たすが、10月にトミー・ジョン手術を受け、翌2007年を棒に振る。
2008年はA 級タンパ・ヤンキース、AA級トレントン・サンダー、AAA級スクラントン・ウィルクスバリ・ヤンキースと、マイナー3つの階級すべてでロングリリーフとして起用され、リリーフのみで計44試合・95イニングに登板し、8勝1敗、防御率2.27という好成績を残す。シーズン終了後、ベースボール・アメリカ誌はマランソンをヤンキース組織内第9位の有望株と評価した。
2009年4月25日に初めてのメジャー昇格を果たすと、26日のボストン・レッドソックス戦でメジャーデビューを果たし、2イニングを無失点に抑える。その後、5月8日にAAA級スクラントンへ降格するが、7月9日に再びメジャーに昇格した。
アストロズ時代
2010年7月末にランス・バークマンとのトレードで、ジミー・パレデスと共にヒューストン・アストロズへ移籍した。
レッドソックス時代
2011年12月14日にジェド・ラウリー、カイル・ウィーランドとのトレードで、レッドソックスへ移籍した。 2012年のシーズンは、4月17日のテキサス・レンジャーズ戦で3本の本塁打を浴びるなど一死もとれず6失点と炎上するなど、最初の4試合で防御率49.50となり、AAA級ポータケット・レッドソックスへ降格した。6月10日にメジャーへ復帰するも最終的に41試合に登板し防御率6.20と期待を大きく裏切る結果となった。
パイレーツ時代
2012年12月26日にジョエル・ハンラハン、ブロック・ホルトとのトレードで、イバン・デヘスース・ジュニア、ジェリー・サンズ、ストルミー・ピメンテルと共にピッツバーグ・パイレーツへ移籍した。
2013年はオールスターゲームに初めて選出されたが、登板はなかった。また、抑えのジェイソン・グリーリが故障者リストに入った間は、代役を務めた。最終的に72試合に登板し、3勝2敗16セーブ26ホールド・防御率1.39と好成績を残した。セントルイス・カージナルスとのディビジョンシリーズで、ポストシーズン初登板を果たしたが、第5戦の1-3で迎えた8回裏に登板し、マット・アダムスに本塁打を浴びるなど、3失点を喫してしまい、大事な場面で抑えられず、チームは敗退してしまった。
2014年1月17日にパイレーツと259万5000ドルの1年契約に合意した。移籍2年目となる2014年シーズンは、前年から調子を落としたグリーリに代わりクローザーに定着。2年連続1.00台となる防御率1.90、いずれも自己ベストの33セーブ・WHIP0.87をマークし、チームのプレーオフ進出に大きく貢献した。10月1日のサンフランシスコ・ジャイアンツとのワイルドカードゲームでは、0-8で迎えた9回表に登板して無失点に抑えたが、チームはそのまま敗退してしまった。オフには日米野球2014のMLB選抜に選出された。
2015年も抑えで起用され、両リーグ最多の51セーブを挙げ、セーブ失敗もわずか2回と、安定した活躍を見せた。3年連続での防御率1点台が終盤まで期待されたが、9月28日のカージナルスとの首位攻防戦での登板で、スコア0-0で迎えた9回裏に3失点を喫してしまい、防御率が2点台となってしまった。10月7日のシカゴ・カブスとのワイルドカードゲームでは、0-4で迎えた9回表に登板して無失点に抑えたが、チームはそのまま敗退してしまった。
2016年は7月までに45試合に登板し、1勝1敗30セーブ、防御率1.51と好調を維持していた。
ナショナルズ時代
2016年7月30日にフェリペ・リベロ、テイラー・ハーンとのトレードでワシントン・ナショナルズへ移籍した。移籍先でも抑えとして起用され、30試合で17セーブ、防御率は1.82であった。シーズン通算では4年連続70試合以上となる75試合登板でナショナルリーグ3位となる47セーブを挙げ、防御率は2年ぶりの1点台となる1.64を記録した。オフにフリーエージェント(FA)となった。
ジャイアンツ時代
2016年12月5日にサンフランシスコ・ジャイアンツと4年総額6200万ドルで契約した。12月14日に第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のアメリカ合衆国代表への不参加の意思を表明したが、代表が決勝トーナメントに進出したため合流した。3月22日の決勝プエルトリコ戦に勝利し、初の優勝を果たした。
シーズンでは、2度にわたって故障離脱するなど全般に調子が上がらず、2010年以来となる40試合未満の登板で1勝2敗11セーブ、防御率4.50と不本意な成績に終わった。
2018年も故障で出遅れ、41試合登板で1勝4敗3セーブ、防御率3.23、WHIP1.59と物足りない成績に終わった。
ブレーブス時代
2019年7月31日にダニエル・ウィンクラー、トリスタン・ベックとのトレードで、アトランタ・ブレーブスへ移籍した。移籍後は抑えを務め、11セーブを挙げた。この年は2チーム合計で3年ぶりとなる60試合登板を果たし、5勝2敗12セーブ、防御率3.61であった。
2020年オフの10月28日にFAとなった。
パドレス時代
2021年2月18日にサンディエゴ・パドレスと200万ドルの単年契約を結んだ。2022年は相互オプションとなり、バイアウトの際は100万ドルが支払われる。
2021年4月1日のダイヤモンドバックスとの開幕戦に抑えとして登板し、移籍後初出場し、移籍後初セーブも記録した。7月4日に選手間投票で通算4度目となるオールスターゲームに選出された。7月13日に開催されたオールスターゲームでは8回表に7番手として登板した。オフの11月5日にオプションを破棄してFAとなった。
ダイヤモンドバックス時代
2021年12月1日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスと2年総額1400万ドルの契約を結んだ。2024年はチームオプションとなり、バイアウトの際は200万ドルが支払われる。
2022年は62試合に登板したが、3勝10敗18セーブ、防御率4.66と不振だった。
2023年はスプリングトレーニング中に右肩を負傷し、この怪我によりシーズン全休となった。オフの11月3日に契約延長オプションを破棄して、FAとなった。
現役引退後
2024年10月8日、サンディエゴ州立大学の投手育成コーディネーターに就任することが発表された。
選手としての特徴
リリーバーとしてオーバースローから、平均球速91mph(146km/h)のカッターを中心に、平均92mph(148km/h)のフォーシーム、決め球である平均81mph(130km/h)のナックルカーブ、稀に85mph(137km/h)程度のスプリッターを使用する(2016年)。フォーシームの最速は2012年シーズンに記録した96.0mph。 2011年以前の速球はフォーシームが主体であったが、2011-2012年からカッターを主体としている。また、PITCHf/x上2012年以前のカーブが2013年以降はナックルカーブに切り替わっている。 年々球速が低下しており、MLB昇格時には平均球速149km/hほどだったが、2016年時点では146km/hにまで落ち込んでいる。 もともと制球難だったが大幅に改善され、リーグ屈指のコントロールを誇っており、MLB通算与四球率は2点台序盤となっている。パイレーツに移籍した2013年以降の被本塁打率が0.29と非常に低い。
詳細情報
年度別投手成績
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績
タイトル
- 最多セーブ投手:2回(2015年、2021年)
表彰
- トレバー・ホフマン賞:1回(2015年)
記録
- MLBオールスターゲーム選出:4回(2013年、2015年、2016年、2021年)
背番号
- 39(2009年 - 2010年途中)
- 54(2010年途中 - 2011年)
- 37(2012年)
- 35(2013年 - 2016年途中)
- 43(2016年途中 - 同年終了)
- 41(2017年 - 2019年7月30日)
- 36(2019年8月3日 - 2020年)
- 33(2021年)
- 34(2022年)
代表歴
- 2017 ワールド・ベースボール・クラシック・アメリカ合衆国代表
脚注
注釈
関連項目
- メジャーリーグベースボールの選手一覧 M
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- Mark Melancon stats MiLB.com (英語)
- Mark Melancon (@Mark_Melancon_) - X(旧Twitter)
- Mark Melancon (@mark_melancon_) - Instagram



