ホセ・アントニオ・バレンティン(José Antonio Valentín , 1969年10月12日 - )は、プエルトリコ自治連邦区マナティ出身の元プロ野球選手(内野手)。元々のポジションは遊撃手でロサンゼルス・ドジャース時代は三塁手。右投両打。
親分肌で知られ、経営に苦しんでいたプエルトリコのインターリーグのチームを買収し、オーナーになっている。
弟ハビアーも元メジャーリーガー。また息子のヘスムエルもメジャーリーガーである
経歴
1986年10月12日にサンディエゴ・パドレスと契約してプロ入り。
1992年3月26日に、ゲイリー・シェフィールドとジェフ・ケロッグとのトレードで、リッキー・ボーネスとマット・ミースキーと共に、ミルウォーキー・ブルワーズへ移籍。同年9月12日にメジャーリーグデビューを果たす。
2000年1月12日にハイメ・ナバーロとジョン・スナイダーとのトレードで、カル・エルドレッドと共にシカゴ・ホワイトソックスへ移籍。同年4月27日のボルチモア・オリオールズ戦でサイクル安打を達成。オフの10月30日にFAとなったが、11月30日にホワイトソックスと再契約した。
2004年オフの10月29日にFAとなり、12月21日にエイドリアン・ベルトレの後釜の三塁手を求めていたロサンゼルス・ドジャースと1年契約に合意した。
2005年は、右膝を痛め5月から7月末まで故障者リスト入りを余儀なくされた。10月27日にFAとなり、12月8日にニューヨーク・メッツとマイナー契約を結んだ。
2006年は第1回WBCプエルトリコ代表に選出された。シーズンは正二塁手として活躍した。
2007年11月6日にFAとなった。
2008年2月18日にメッツと再契約したが、6月21日に放出された。
2009年2月に再びメッツとマイナー契約も、ほどなく引退した。
2011年はプエルトリコ・ベースボールリーグAA級のムロス・デ・マナティの監督を務めた。
2012年から古巣パドレス傘下A級フォートウェイン・ティンキャップスの監督に就任。
2013年は第3回WBCプエルトリコ代表のコーチを務めた。オフの11月19日にパドレスの一塁コーチに就任し、2015年まで務めた。
詳細情報
年度別打撃成績
背番号
- 54(1992年)
- 2(1993年 - 1999年)
- 22(2000年 - 2004年、2007年)
- 10(2005年)
- 18(2006年)
- 17(2014年 - 2015年)
脚注
関連項目
- メジャーリーグベースボールの選手一覧 V
- プエルトリコ出身のメジャーリーグベースボール選手一覧
- 親子のメジャーリーグベースボール選手一覧
- 兄弟スポーツ選手一覧
- 左右打席本塁打
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)


![駿河屋 OL11 086/144 [SS] : バレンティン(オーナーズリーグ)](https://www.suruga-ya.jp/database/pics_light/game/680001918.jpg)
