アンドリュー・マーシャル・ブラウン(Andrew Marshall Brown, 1984年9月10日 - )は、アメリカ合衆国・テキサス州ダラス出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。
経歴
カージナルス時代
2007年、MLBドラフト18巡目(全体562位)でセントルイス・カージナルスから指名され、6月12日に契約を結びプロ入りを果たした。
同年は、A-級バタヴィア・マックドッグスで66試合に出場し、7本塁打40打点1盗塁、打率.238だった。
2008年はA級クァッドシティズ・リバーバンディッツで34試合に出場し、5本塁打23打点、打率.274だった。5月にA 級パームビーチ・カージナルスへ昇格。24試合に出場し、4本塁打15打点、打率.330だった。6月にAA級スプリングフィールド・カージナルスで68試合に出場し、12本塁打38打点1盗塁、打率.251だった。
2009年はルーキー級ガルフ・コーストリーグ・カージナルス、A 級パームビーチ、AA級スプリングフィールドでプレー。AA級では74試合に出場し、13本塁打42打点1盗塁、打率.285だった。
2010年はAA級スプリングフィールドで98試合に出場し、22本塁打63打点1盗塁、打率.291だった。
2011年はAAA級メンフィス・レッドバーズで開幕を迎え、6月12日にアレン・クレイグが故障者リスト入りしたため、カージナルスとメジャー契約を結んだ。同日のミルウォーキー・ブルワーズでメジャーデビュー。7回表に代打として出場したが三振に終わった。6月14日のワシントン・ナショナルズ戦では6番・右翼で先発起用され、5回表の第三打席目にユニエスキ・マヤからメジャー初安打初打点となる2点適時打を放った。6月26日にニック・プントとデビッド・フリースが故障者リストから復帰したため、AAA級メンフィスへ降格した。その後メジャーへ昇格することはなく、この年は11試合に出場し、3打点、打率.182だった。オフの10月9日にDFAとなった。
ロッキーズ時代
2011年10月12日にウェーバーでコロラド・ロッキーズへ移籍。11月18日に40人枠を外れ、AAA級コロラドスプリングス・スカイソックスへ降格した。
2012年2月2日にロッキーズとマイナー契約で再契約した。AAA級コロラドスプリングスで開幕を迎え、86試合に出場。20本塁打84打点、打率.317と結果を残し、7月17日にロッキーズとメジャー契約を結んだ。昇格後は11試合に出場したが、打率は.208まで落ち込み、8月2日にAAA級へ降格。8月19日にマイケル・カダイアーが故障者リスト入りしたため、メジャーへ昇格した。8月25日のシカゴ・カブス戦では、6回表の第三打席目にマニー・コーパスからメジャー初本塁打を放った。この年は46試合に出場し、5本塁打11打点2盗塁、打率.232だった。オフの11月20日に40人枠を外れ、AAA級コロラドスプリングスへ降格。11月26日にFAとなった。
メッツ時代
2013年1月2日にニューヨーク・メッツとマイナー契約を結んだ。
同年は、AAA級ラスベガス・フィフティワンズで開幕を迎え、25試合に出場。2本塁打27打点、打率.367と活躍し、5月3日にメッツとメジャー契約を結んだ。昇格後は6試合に出場したが、5月13日にAAA級へ降格。6月19日に再昇格した。この年は68試合に出場し、7本塁打24打点1盗塁、打率.227だった。
2014年3月3日にメッツと1年契約に合意し、開幕ロースター入りした。開幕後は10試合に出場したが、打率は.185と結果を残せず、4月22日にAAA級ラスベガスへ降格した。6月5日にメジャーへ再昇格。同日のカブス戦ではジャスティン・グリムから本塁打を放つ など、存在感を見せたが、6月16日にエリック・ヤング・ジュニアが故障者リストから復帰したため、AAA級へ降格した。
韓国球界時代
2015年1月15日に、韓国プロ野球のSKワイバーンズと契約を結んだ。同年28本塁打を記録したが、打点の少なさがネックとなり1年限りで退団することになった。
2016年2月2日、ロサンゼルス・エンゼルスとマイナー契約を結んだが、29日に現役引退を表明した。
詳細情報
年度別打撃成績
背番号
- 64 (2011年)
- 12 (2012年)
- 47 (2013年)
- 30 (2014年)
- 23 (2015年)
脚注
関連項目
- メジャーリーグベースボールの選手一覧
外部リンク
- 選手の各国通算成績 KBO
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- Andrew Brown stats MiLB.com (英語)




