芝山 定豊(しばやま さだとよ)は、江戸時代前期から中期にかけての公卿。堂上家(家格は名家、藤原北家高藤流勧修寺庶流)である芝山家2代当主。
経歴
寛永15年(1638年)、権大納言・芝山宣豊の子として誕生。
官位は従二位・権中納言。左中将・四辻季輔の次男・広豊を養子とした。
宝永4年(1707年)、薨去。
系譜
- 父:芝山宣豊(1612-1690)
- 母:不詳
- 妻:不詳
- 養子
- 男子:芝山広豊(1674-1723) - 四辻季輔の次男





芝山 定豊(しばやま さだとよ)は、江戸時代前期から中期にかけての公卿。堂上家(家格は名家、藤原北家高藤流勧修寺庶流)である芝山家2代当主。
寛永15年(1638年)、権大納言・芝山宣豊の子として誕生。
官位は従二位・権中納言。左中将・四辻季輔の次男・広豊を養子とした。
宝永4年(1707年)、薨去。




