紀元前607年(きげんぜん607ねん)は、西暦(ローマ暦)による年。紀元前1世紀の共和政ローマ末期以降の古代ローマにおいては、ローマ建国紀元147年として知られていた。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前607年と表記されるのが一般的となった。
他の紀年法
- 干支 : 甲寅
- 日本
- 皇紀54年
- 神武天皇54年
- 中国
- 周 - 匡王6年
- 魯 - 宣公2年
- 斉 - 恵公2年
- 晋 - 霊公14年
- 秦 - 共公2年
- 楚 - 荘王7年
- 宋 - 文公4年
- 衛 - 成公28年
- 陳 - 霊公7年
- 蔡 - 文侯5年
- 曹 - 文公11年
- 鄭 - 穆公21年
- 燕 - 桓公11年
- 朝鮮
- 檀紀1727年
- ユダヤ暦 : 3154年 - 3155年
できごと
中国
- 宋の華元率いる軍と鄭の子家(公子帰生)率いる軍とが大棘で会戦し、宋軍が敗れて華元が捕らえられた。
- 秦軍が晋に侵入し、焦を包囲した。趙盾が焦を救援した。
- 晋の趙盾が宋・衛・陳の諸侯の軍を率いて鄭に侵攻した。
- 晋の趙穿が霊公を殺害した。太史の董狐は「趙盾、その君を弑す」と記録した。
誕生
死去
- 周の匡王
- 晋の霊公
脚注


