松野 孝一(まつの こういち、1905年3月25日 - 1967年7月29日)は、日本の政治家、台湾総督府及び農林官僚。参議院議員(3期)。衆議院議員(1期)。

経歴

現在の大館市出身。菅原精一の二男に生まれ、能代港町(現能代市)の松野一也の養子となる。1927年高等文官試験行政科と司法科に合格。翌1928年に東京帝国大学法学部を卒業し、台湾総督府へ入庁。台北州海山郡守、台中州勧業課長、総督府米穀、農務、特産各課長、食糧部長、逓信部長を歴任の後、終戦で農林省へ転籍し開拓局第一部長、東京農地事務局長、仙台農地事務局長を務める。この間、1947年には請われて宮城県本吉郡入谷村(現南三陸町)村長に就任した。

その後、公職追放で弁護士となるも追放解除後の1952年の総選挙に改進党公認で秋田1区から出馬、当選。翌1953年の総選挙で落選。1958年の総選挙で鈴木一参院議員が衆院へ鞍替え出馬するのに伴い、その補欠選挙で自由民主党公認で出馬し5年ぶりに国政に復帰。1959年、1965年と再選を果たし、3期目途中の1967年7月29日、胃癌のため死去、62歳。死没日をもって勲二等瑞宝章追贈(勲四等からの昇叙)、正五位から正四位に叙される。参院時代は1961年から1年間参院法務委員長を務めると共に、第3次池田内閣では農林政務次官を歴任した。

脚注

参考文献

  • 『日本人事録 第6版 全国篇』中央探偵社、1963年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『秋田人名大事典(第二版)』秋田魁新報社、2000年。

世界は生きている 松藤孝一(静岡市美術館 エントランスホール)|美術手帖

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玉野 孝一 国立研究開発法人 産業技術総合研究所 バイオものづくり研究センター

写真・図版(1枚目) ドン小西「バブルだもんな」維新・松野新代表をファッション批評 AERA dot. (アエラドット)

「寄り添う」削除は松野氏の判断 基地負担軽減担当相として 首相の施政方針演説 琉球新報デジタル